ドラクエの映画を見てレゴの映画を見たので再び見た感想
先日の記事でドラゴンクエストユアムービーを見た時に後半の展開に何か既視感を覚えた。なんだろうと思ったらレゴムービーだったのでこの映画のついてもう一回見て感想を取りまとめようと思います。今回はドラクエの映画との比較をしながら書こうと思うのでその点はよろしくお願いします。
レゴが動く!それだけで楽しい
レゴの映画なんだからやっぱりレゴのブロック、人形で動くことになっている。それをどんどん動かしていくのはかなり気持ちいい。
ドラクエの映画も人物のデザインこそ鳥山絵ではないものも(そこはわりと大事なのはいうまでもないが)、モンスターや音楽という点でドラクエであるということをアピールしてくれる。
主人公の個性の付け方がとてもいい
レゴムービーの主人公は個性がないというのが個性となっている。マニュアルがないとダメだっていうのを度々提示する。しかし、後半ではマニュアルに従うというこそが攻略の鍵となってくる場面があり、あまり提示されないアプローチでとても面白く感じた。自由に作ることが持て囃される中で時には型をはめるということの大事さを出すのはとても創作という幅を広げてくれる。
メタネタの扱い方
今回の本題。少し状況をお互いに整理しようと思う。
ドラクエ・レゴともに上位存在がいるということは示唆はされていた。ドラクエでは中盤で電子の海のようなところのシーンもあったし、ところどころプログラムであることを示唆するシーンがあった。
一方レゴの方も現実のある物がレゴと浮いた形で出されている。
では、何が違うか。ドラクエでは最先端の体感ゲームであり、天才ハッカーに乗っ取られてしまった。そして大人になれと告げられるものもワクチンが突如現れ、救うことで倒すことができる。
レゴではお父さんと息子の対立がある。お父さんはレゴを芸術と見ており、動かさないで固定させようとしている。一方息子は自由に想像力を膨らませて遊びたいと思っている。
この違いというのを考えてみる。
一つは主人公の関与はどこまでしているのかである。ドラクエでは主人公は解決に関しては一切役立っていない。ワクチンがなかったらそのままやられていたのである。大切な思い出なんだといっているが言葉だけである。
レゴでは穴の中を通り現実世界もとい上位世界にいく。そこで子供と会いお父さんとの対立を知る。そして再び戻るという流れになっている。しかし、自分の意思で動いて息子に拾われることで状況が変わるという点は明らかに事態に易経を与えることになっており、想いを伝えるだけのドラクエとは違うことになっている。誤解してほしくないが私はプレイしてきた思い出はかけがえのないものだというドラクエ側の話自体は好きだけどもただそれだけで収まっている。それはどうなのかということである。
もう一つが大事である。レゴとドラクエでは上位存在との関係性が異なるという点である。
これはレゴ側がうまいと思うのだが、レゴのお父さんと息子の対立というのはそのまんまお仕事大臣と主人公らの対立と繋がっているのである。これによって突拍子感もなく後半の展開を迎えることができ、現実とレゴの世界でリンクするという演出によって終わりへと向かう。
そこができていないからドラクエの映画はダメだったと考える。あまりに突拍子のないことを言うからである。プログラムの世界であることは示唆はされていたからついていけるものも、天才ハッカーに乗っ取られている、ワクチンどれもいきなり出てくる。そして主人公の思い出は大事なんだって言う主張となんも関係ない。
提案するのもどうなのかと思うけども、例えばハッカーの手によって改竄されているのを主人公が昔プレイした記憶を思い出しながら攻略していくとかの方が思い出は大切であるということとプログラムされたという設定に沿うと思う。今更だけども。
改竄されたと言う設定にしてしまえば無理にドラクエ5の流れを汲まずに映画の尺に合ったオリジナルストーリーにもしやすいだろう。
……なんというかそれで見たかった気がしてきた。
レゴの方は続編もあるらしいのでまた機会があればレビューしようと思います。
読んでくれてありがとうございました。